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死ぬ時に「自分に忠実に生きればよかった」「働きすぎた」と後悔しないために

Published: 3 May, 2024
Revised: 4 May, 2024

本記事を書こうと思った背景

本記事には技術的な話は一切ありません。もうすぐ妻が第2子の出産を控えており、私もこれから半年間の育児休業に入るため、自分自身のキャリアについて今考えていることをまとめておきたくなりました。先週末に書店で目について買った「DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール, ダイヤモンド社と「なぜ働いていると本が読めなくなるのか, 集英社」が今の自分にとってすごくタイムリーで、自分自身の考え方の大きな転換点になったのでその感想も含みます。

これまでのキャリア

新卒から今の会社に勤めて6年経ち、今年度で7年目になります。就活・就職時期が売り手市場だったこと、その中でも人手不足がより顕著なソフトウェアエンジニア職であったこと、そして後述するように会社の評価体制が若手に有利だったことといった、自分では操作できない運による要因が大きかったと思いますが、これまでかなり順調に昇給してきて、既にテック系企業の一般的な指標で言うとシニアエンジニア、世間の一般企業的には部長級になっているようです。フルリモートで最近は残業もほとんどなく、乳幼児の子育てもやりつつ副業としてやっているサイドプロジェクトも並行してやることができているのはこの環境のおかげで、本当に感謝しています。

昔は自分のキャリアプランは会社に決めてもらうものであり、異動や転勤は会社が決めるもの、という雰囲気だったと思いますし、今でもそういった考え方の人は一定数いると思います。自分の人生なのに自分に裁量がない感じが私にとっては違和感がありますが、自分で悩まなくても会社に忠実に尽くしていれば良いという単純さには惹かれるものがあり、皮肉抜きで羨ましいなと思います。

ただ最近は転職も当たり前になってきていて、特にソフトウェアエンジニア職は他と比べても雇用が流動的で、新卒の同期もかなりの人数が既に転職していきましたし、私も新卒の頃から自分で自分のキャリアを主体的に考えて動いて積み重ねていかなければならないプレッシャーと不安を感じていました。それもあって、2年目から全社公募に応募して某決済アプリの会社に出向したり、5年目からはBEメインからWeb FEにも本格的に携われる部署に異動希望を出したりして、積極的に動いてきました。社内ではわりと異動が多い方だと思います。

入社前は本当にこの仕事が自分に向いているのか不安でしたが、最初からそれなりに成果を出せて評価されたので、すぐに結構向いているのかもしれない思えるようになっていました。ただ、良い成果を上げてもなんやかんやで中々自分に返ってこないことも少なくない世の中で、今私が勤めている会社はわりと真摯に「Pay for Performance」に取り組んでおり、年齢や年次や個人的な親交なんかはほとんど関係なく、純粋にパフォーマンスに見合った給料を払おうと努力されている印象です。家族や友人の別の職場の話を聞いていると、こういった環境は日本国内では珍しい環境なんだろうなと思いますし、非常にラッキーなことだったなと思います。


DIE WITH ZERO

働き始めてからこれまで、結婚や出産、住宅の購入など様々なライフイベントが立て続いたこともあり、昇給する分出費もどんどん増えていっていました。自分が子どもの時にお金で苦労した経験があって、特に子育てのことを考えるとお金に関して頭の片隅に漠然とした不安がずっとあり、「お金はあればあるだけ安心」みたいな感覚でいました。生活が落ち着いてきて多少お金が余り始めたら、今度は企業型確定拠出年金とNISAへの投資を増やしていきました。そして今後収入が増える分はとにかく企業型確定拠出年金とNISAの上限枠を最短で埋めて、なるはやで経済的に自立した状態(≒FIREしようと思えばできる状態)を目指すかーなんて考えていました。


それでこの節目で改めて振り返っていた時にふと思ったわけです。これまで自分なりに努力してきてそれなりに成果を上げて給料も増えてきたのに、特別贅沢するようになったわけでもない。今後更に収入が増えても投資が増えるだけ。投資を増やしたとしてもサラリーマンには限界があって経済的に自立した状態に至るまでは少なくとも15~20年はかかる。その頃には子供はもう大学生になっていて、一番楽しい時期は過ぎ去ってしまっている...。


そんな思いを抱えていて、書店でたまたま見かけたのが「DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール, ダイヤモンド社」でした。有名な本なので私もタイトルだけは聞いたことがありました。


この本で最も伝えたいことは、「人生で一番大切なのは、思い出を作ることだ」ということです。この本を読んで印象に残ったことは以下でした。

  • 人はお金を必要以上に溜め込んで使わずに死んでいく。70代になってもまだ未来のためにお金を貯めようとしている
  • 多くの人は遠い未来の年老いた自分のために、必要以上に自分から経験を奪っている
  • お金、時間、健康の3要素が全て揃うタイミングは中々ない
  • 年をとってお金と時間が揃っても、気力と体力が追いつかなくなっていて、お金を使わなくなる
  • 思い出は早く作るほど思いだす期間が長くなり、人生の幸せに大きく貢献する

詳しくは是非是非本を読んでみてください。


この本の中でもとりわけ刺さった箇所を引用します。

死ぬ前に後悔することトップ2

オーストラリア人のブロニー・ウェアは、長年、緩和ケアの介護者としてかず多くの患者を看取ってきた。彼女は、余命数週間の患者たちに人生で後悔していることについて聞いていたそうだ。

~中略~

最大の後悔は、「勇気を出して、もっと自分に忠実に生きればよかった」であった。他人が望む人生ではなく、自分の心の赴くままに夢を追い求めれば良かった、と。

~中略~

多くの人々が、人生の最後に「働きすぎなければよかった」と後悔するのもそのためだろう。よく言われるように、「人生を振り返ったとき、オフィスで長時間を過ごさなかったことを後悔する人などいない」のである。

実際、ウェアが患者から聞いた後悔のなかで2番目に多かったのは(男性の患者では1位だった)は、「働きすぎなかったらよかった」だ。これは、まさに私が本書で主張していることの核心だとも言える。

「私が看取った男性はみな、仕事優先の人生を生きてきたことを深く後悔していた」とウェアはつづっている (女性にも仕事をしすぎたことを後悔する人はいたが、患者の多くは高齢者であり、まだ女性が外で働くのが珍しい時代を生きてきた人たちだ)。

さらに、働きすぎは後悔しても、一生懸命に子育てしたことを後悔する人はいなかった。多くの人は、働きすぎた結果、子どもやパートナーと一緒に時間を過ごせなかったことを後悔していたのだ。

この本、刺さる場所が多すぎて読みながらめちゃめちゃ赤線引いてたんですが、この部分は(いつでも振り返れるように)ページに折れ目まで入れちゃいました。そのくらい刺さりました。そして、経済的にはデメリットが多いけれども、家族と過ごす時間を優先して長期で育休を取ろうとしている自分の選択はやっぱり正しいと確信を持てました。


なぜ働いていると本が読めなくなるのか

そしてもう一冊、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか, 集英社」という本を読みました。序章では「花束みたいな恋をした」を参照し、現在の長時間労働と文化的趣味は相容れないものであることが語られています。以下で一部を引用します。

実際、私の友人たちが「身につまされた」と語っていたのは、麦と絹の恋人関係そのものよりも、麦の読書に対する姿勢だった。「働き始めた麦が本を読めなくなって、『パズドラ』を虚無の表情でやっていたシーン、まじで『自分か?』と思った」と友人たちは幾度も語った。働き始めると本が読めなくなるのは、どうやら映画の世界にとどまらない話らしい。

(ちなみに、こういった「なんとなく手がスマホのアプリを開いてしまう。いつまでもゲームや動画を眺めてしまう」といった状態を脱したい人向けに「時もち」というアプリを開発しています。よろしければインストールして使ってみてください)

この本の最終章で、「全身全霊をやめませんか」「半身労働社会を作りませんか」と提案されており、強く共感しました。

なぜ正社員でいるためには週5日・1日8時間勤務+残業あり、の時間を求められるのだろう。それは仕事に「全身」を求められていた時代の産物ではないのか。そのぶん、家事に「全身」をささげていた人がいたからできたことではないのか。今の時代に、「半身」 - 週3日で正社員になることが、なぜ難しいのだろう。

~中略~

「半身」とは、さまざまな文脈に身を委ねることである。読書が他者の文脈を取り入れることだとすれば、「半身」は読書を続けるコツそのものである。

仕事や家事や趣味や - さまざまな場所に居場所をつくる。さまざまな文脈のなかで生きている自分を自覚する。他者の文脈を取り入れる余裕をつくる。その末に、読書という、ノイズ込みの文脈を頭に入れる作業を楽しむことができるはずだ。

私は仕事は好きですが、私も一つの会社に週5日・1日8時間勤務+残業ありは長過ぎると思っていますし、他のさまざまな活動に使う時間がもっと長くなれば良いなと思っています。海外や国内でも週休3日制導入の話は定期的に聞きますし、若い世代は特に会社への帰属意識も弱くなってきているようなので、大きい流れはそういう方向に向かっているんじゃないかと思います。それは複雑で難しいものだと思いますが、その方がきっと人生は充実するんじゃないかと私は思います。

これからの人生でやること

勇気を出してもっと自分に忠実に生きるために、幸せな思い出をたくさん作るために、今の段階で決めたことがあります。

貯金や投資に回し過ぎず、躊躇なく思い出にお金を使う

詳しい話は省きますが、今もそれなりに貯金と投資はしており、これをキープすれば教育や老後のためにそれなりの資産は築ける予定です。ここから更に余ったお金は意識して投資には回さず、できる限り家族の思い出作りのために積極的に使っていきます。

旅行にたくさん行く

国内旅行は日帰りも含めると今でもかなり頻繁に行ってるので、これを続けます。元々一年間フィンランドに留学していたくらいには海外というか自分がよく知らない世界に飛び出すこと、体験することが好きでした。1ヶ月間ヨーロッパをバックパックしたこともあります。ハネムーンもコロナさえなければヨーロッパに行く予定でした。コロナやその後子どもが産まれてバタバタしていてもう何年も行けてませんが、子どもが小学生になってその実感が持てるようになった頃から、積極的に海外旅行もしようと思います。


ゴールデンレトリバーを飼う

小さい頃、母と姉と一緒に犬の映画をたくさん見ていて、その頃から大型犬(特にゴールデンレトリバー)を飼うことに憧れていました。子供の頃はヨークシャテリアのラブちゃん、亡くなってからは同じくヨークシャテリアのクッキーを飼っていましたが、特にクッキーは、途中で母が亡くなってしまったこともあって十分に世話できなかった記憶があります。7歳という若さで亡くなってしまいました。その贖罪というわけではないですが、犬を飼って、本当に丁寧にちゃんと世話をして思い出を作りたいなと思っています。子供にとってもかけがえのない経験になると思います。コロナ禍でペットを飼う人が増え、最近は歳をとってからペットを飼って、ペットも歳を取ったらペットの介護ができなくなって手放す、といったことも多くおきているようです。大型犬を飼うには時間もお金も体力も必要だし、まずほとんどの場合で戸建てが必要だったりと、環境を整えるのがかなり大変です。私は体力のあるできるだけ若いうちに、時間やお金を言い訳にせずに、家族と一緒にかけがえのない思い出を作りたいと思います。といっても、現実的に0歳児と2歳児の子育て中に大型犬も飼うのはさすがに無理です。下の子が3歳になるくらいのタイミングで飼おうかと話しているところです。

サラリーマンとしてではなく自分でビジネスをやる

結局仕事じゃん、という声が聞こえてきそうですが、これは私にとって趣味や娯楽に近い感覚です。どうせなら会社に指示されてやるよりも、自分が心からやりたいことを、自分が好きなように究極の裁量を持ってやって暮らしていけたら最高だなと思います。でも、働きすぎるつもりはありません。ハードワークはせずに、家族最優先でやるつもりです。まずは最近リリースした「時もち」を初めとしたアプリ開発・運用がメインになると思います。これをまずは会社として事業をやれるレベルまで育てることを目標としてコツコツやっていきます。

最後に

今年は長期で育休に入りますし、先日初めてiOSアプリをリリースしたりして、後から振り返った時にキャリア引いては人生でもかなり大きな転換点になったと言える年になるのではないかなと思います。後悔しないように全力で楽しんでいきます...!また今後この記事を振り返って、今決めたことができているのかを定期的に確認していこうと思います。

Toshimitsu Kugimoto

Software Engineer

仕事では決済やメディアのWebやスマホアプリのBE開発、WebのFE開発をやっています。 JavaとTypeScriptをよく使います。プライベートではFlutterでのアプリ開発にも挑戦中です。